第9回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・優秀賞受賞作品
I


  『 生きろ』
        


                                         近畿大学3年  奥村 仁翔

 この世界は辛いことでいっぱいだ。少し人と合わなかったらいじめられてしまうこともあるし、ちょっとしたミスをするだけで信じられないくらい怒られてしまったりする。そんなことがあるたびに消えて無くなってしまいたいような気になってしまうのはきっと私だけではないんじゃないかと思う。嫌なことなんでできるだけ経験したくないからね。

 じゃあこの世から消えて無くなってしまいたい。そう考えた時あなたならどういう選択肢が浮かぶだろう?家出をする?部屋に引きこもる?いろんな選択肢が考えられると思うけど私の場合、それは「死ぬ」ことだった。自殺というやつだ。でも何かあって自殺をしようとするとそれを止めようとするいろんな人や言葉に出会う。「生きていればいいことがある」だとか「親より先に死ぬなんて親不孝だよ」とか。もちろんそういった言葉が刺さる人もいるのだろうけど、ひねくれ者の私は自分の状況も知らないでそういった言葉を投げかけてくる人が大嫌いだった。

 強がりをいうようだけど私にとって自殺というのは問題解決の手段だった。側から見たらもちろんそれはただの逃げだと思われるかもしれないけど、生きてて楽しいことより辛いことの方が多い。なら今ここで死んで人生を終わらせた方が総合的に見てプラスなんじゃないか、と考えたからだ。それでも死ぬという行動はおそらく人生で一番痛くてしんどいだろうと思っていたので、怖くて自殺には踏み込めていなかった。

 しかし、ある日本気で自殺決行の直前までいったことがあった。学校や塾、家、全てで嫌なことが重なった日だ。こんな経験をこれからも何度もしなければならないと思うと絶望して、今度こそ本当に死んでやろうと思ったのだ。しかし、そこで出会ったおじさんとの会話で私は自殺という考えを捨てることとなったのだ。

 私は川に飛び込んで自殺をしようと考え、ひとりになりたい時たまにきていた川に向かった。日中はランニングをする人なんかもいるのでわざわざ人気の少ない日没後を選び、高さのある橋の上から飛び降りようと思った時、その人は現れたのだ。ひどくみすぼらしい格好をしたおじさんだった。もう50は過ぎているであろうそのおじさんは見透かしたように
「兄ちゃん、死ぬんか。」といったのだ。あまり治安の良い地域ではなかったのでおそらくそのおじさんはホームレスというやつだったのだろう。正直そういった人たちと関わってきたことのなかった私は金目なものでも狙っているのかな?と思ったが、今から死ぬということもあって強気だった私は思わず、「もしそうだったらなんですか。」と言った。普段人と話すのが苦手な私には考えられないことだ。そしてここからの会話で私の「死」に対する考え方が変わることになる。

 初対面で失礼な態度を取る若造の私に対しておじさんは心底不思議そうに「なんで死ぬんや?」と問いかけてきた。正直イライラした。今から死のうなんて思う人は拗らせた哲学者でもなければ当然何かしら嫌なことがあったに決まっている。そんなことにも思い当たらないデリカシーのない人間と話すのはたまらなく嫌だったので適当に切り上げようと「理由なんてなんでも良いじゃないですか、とにかくもう生きているのは無理なんです。ほっといてください。」みたいなことを言ったと思う。今にして思えば投げやりで最低な発言かもしれないが、当時の私には目の前の名前も知らないおじさんを気遣えるほどの余裕はなかったのだ。ここまで投げやりな返事をしたのだから当然気分を害するのではないかと思ったが、おじさんから帰ってきた返事は想定外のことだった。

 「ほんなら死んだ後ってどうなると思う?」聞かれた瞬間は何を言っているんだこいつは、と思ったが言われてみると確かに死んだ後どうなる、なんてことは深く考えてはいなかった。死は辛く苦しい現実から逃れるための手段であって、死ぬことそれ自体に興味があったわけではないのだから当たり前と言えば当たり前だ。少しだけ興味を惹かれたものの、考えたこともないと答えるのも癪だったので「死んだ後は消えて無くなるだけでしょう。宗教か何かの勧誘なら他を当たってください。」というと「ちゃうちゃう。わしは無宗教やけど単純に死んだ後のことに興味があるだけや。」という。本当に怪しい男だ。訝しむ私を尻目に男は持論を展開する。「世の中のもん、特に自殺しようとしてる人は大概死んだ後は天国なり地獄に行くやとか、何かしらに生まれ変わるみたいな思想を持っとる。大概は宗教の影響やけどなんの根拠もないもんや。でもほとんどが当然人間の都合がええように作られとる。そんな都合がええわけないと思わへんか?今生きとる世界は理不尽なことがいっぱいある。でもその世界で理不尽を受けてきた人が死んだ後は救われるんか?死んだ後も理不尽なことで溢れとるんちゃうか?少なくともわしはここから飛び降りるだけで幸せな世界に行けるとはどうしても思えんのや。」小汚い格好をしたこのおじさんの話は妙に説得力があった。しかしもしこれに納得してしまえば次は更なる絶望が待っている。なんせ今の環境の全てに絶望して死のうとしていたのだ。死んでも救われないなんてことは簡単には受け入れられない。「でも良い方に転ぶ可能性もあるじゃないですか」そう言わずにはいられなかった。「そうやって期待して選択した結果いいことになったことの方が少ないからこうして死のうとしてるんちゃうか?」図星だった。今まで何度も期待したことはあったのだ。薄い希望を信じて悩みを誰かに打ち明けたり、何か変わると信じて環境を変えてみたり。でもその度に期待を裏切られ、苦しんできた。だからこそ生き続けていくことに価値を感じなくなってしまったのだ。気がつけば私は涙を流しながら訴えていた。「じゃあどうしろっていうんですか。諦めて、苦しい環境に居続ければいいんですか。何も変わらず、しんどい思いをするくらいなら死んで、その先で幸せになるのを夢見たっていいんじゃないんですか。」

 我ながら格好悪い姿を見せたと思う。しかしおじさんは表情を変えずに言ったのだ「生きろ。」と。一言なのにすごく重たく感じる言葉だった。受け取った言葉の重さに私が動けないでいるとおじさんは自分のことについて話してくれた。「残酷な話かもしれんけど、にいちゃんが救われる一番確実な方法は生き続けることなんや。今どんなことで悩んでるんかはわからんけどな、それに負けんとあがき続けたら絶対にええことが起こる。世の中はそういう風になっとるんや。わしも今は確かにこんなんやし、20年くらい前にもでっかい借金作って今みたいな生活してる時もあった。でもなにくそと思って泥臭く生きとったらある日ええ人に拾ってもろてうまいこと社会に戻れたんや、その時は嫁さんまでもろて、子供もできた。ほんまに幸せやった。人生どんなどん底におっても生きてたらめっちゃ幸せな出来事の一つやふたつ絶対起こるんやなって心の底から思ったよ。まあそこから色々あってわしもまた見ての通りのどん底に逆戻りや。でももうこんな生活するようになって3年は経つ。そろそろええこと起こるやろなあって思って期待しながら生きとるんよ。」ひどい話だ。絶望している私にそれでも生き続けろというのだから。しかも仮に幸せを手に入れたとしてもまたそれが崩れるかもしれないというのだから夢も希望もあったもんじゃない。でも、自殺を前にした私の前で悪気なくそんな話をしてくるおじさんの話はなぜか聞き入ってしまう不思議な力を持っていた。そして考えた。今までの人生、思い返せば記憶に残っている嬉しかったことなんて欲しかったゲーム機が抽選で当たったことくらいだ。そう考えると確かにこれから先相当いいことが起きないと釣り合いが取れない。目の前の失礼ながらイケメンとは言い難い小汚いおじさんでさえ結婚し子供までいたというのだから私にもそれと同じか、それ以上の幸せが訪れてくれないと困る。そして気がつけば、私は完全に死ぬ気がなくなっていたのだった。

 その後、おじさんと別れ、私はすんなり家に帰った。おじさんも風貌はかなり怪しかったが、金品をせびったりすることもなく、「がんばらんでもええし、逃げてもええけど、生きや。」と温かい言葉だけを残し去っていったので本当にただのお人好しおじさんだったのだろう。その日以降、私は死のうと思うことをやめた。日常生活に大きな変化があったわけではない。相変わらず辛いことはたくさんあったし、いいことなんかほとんどなかった。でも辛いことがあって、いいことがなかったということは、未来いいことが起こってくれるポイントがまたひとつ貯まったということなんだと思うことにしたのだ。そう考えるようにしてから、どんなに日常は辛くても未来はいつだって輝いて見えるようになった。

 そんな出来事から数年経った。相変わらず大きな幸せは訪れていないけど、当時の悩みや苦しみはとっくの昔に消え去っている。辛く苦しいことは度々あったけれど、その全てに終わりがあって、今は過去の自分とは全く違うことで悩んでいるのだ。人は悩みを抱える生き物だ。きっと誰もが大小様々な悩みを抱えて生きていることだろう。本当に些細な悩みしかない人もいるかもしれないし、私なんかよりずっと深刻な悩みを抱える人もいるだろう。でも心配しないでほしい。そうして抱えた悩みの重さや数によって、着実にいいことポイントは溜まっている。今が苦しければ苦しいほど未来は輝いているのだ。もしこれを読んでいるあなたに嫌なことがあって、死のうと思っているのだとしたら本当にもったいない。死ぬほどに嫌なことがあったのなら近い将来とんでもなくいいことがあるはずなのだから。